第三章 対決
1.序曲
『奴をいかにして倒すか』
それが今のラディゲの最大の関心事である。ほとんど常に頭の片隅にひっ掛かっていると言って良かった。
奴、とはもちろんトランザのことである。
しかしどれだけ考えたところで彼に良い考えは浮かばなかった。屈辱的な事だが、今の自分がトランザに及ばないことは認めざるをえない。
(奴を倒す手立てさえ見つかれば…)
ベロニカ計画に協力するふりをしてジェットマンを倒させた後で殺すことだって出来る。それまで辛抱出来ればの話だが。
だがなによりもまず、ラディゲにはトランザに対抗する手段がないのだった。マリアとグレイと力を合わせたところでたかが知れている。しかも二人ともトランザに反抗心を持っているとはいえ、不利になったらいつ奴に寝返るかもしれないのだ。
頼りになるのは己の力のみ。しかしその己はトランザを倒すだけの力を持たない…。
そこまで考えて、彼は唇を噛んだ。
まるで、メビウスの輪だ。
苛立たしげに壁際に座り込み、目を閉じる。
その時、一瞬無防備になったラディゲに何かが再び呼び掛けた。
(誰だ)
殊に強さを増した呼び掛けは彼の脳を強く打った。呼び掛けるだけでなく彼を求めているようにも聞こえる。
(なぜ、俺に呼び掛ける…?)
目を閉じたまま彼は思考の海に沈んでいった。それはトランザのことを考える時とは違った、不思議に穏やかな思いであった。
2.サキ
「ラディゲ!!」
はっと気付いたラディゲは耳を疑う。“あの声”だった。名前を呼ばれたのも、これほどそばで聞こえたのもはじめてだったが。
彼は夢とも呼ばれる、とある次元空間にいた。
自分がそこにいることについては、彼はそれほど驚かなかった。それよりも、あの声。
(確かめてやる)
彼は声のするほうへと進んでいった。なぜだか奇妙に懐かしい気が、彼にはしていた。
声のするほうに向かって進むラディゲの回りには二種類の空気が流れているように感じられた。
懐かしさと、危険なものと。
その存在はあまりにもわずかな気配のために、ともすれば呼び掛ける声にかき消されてしまいそうだった。ラディゲもしばらくは気付かなかったのだから。
彼を呼ぶ声は少女のものだった。彼はその声に聞き覚えがあった。
(どこで聞いた声なのだろう)
思い出そうとすると、頭の中で何かが妨害した。いらだちを覚えながら、霧の中をラディゲは進み続けた。
突然、彼の視界が開けた。目の前に――手が届くほどではなかったが――少女が立っていた。
今にも消えてしまいそうな印象の薄い少女は彼に微笑みかけた。髪は長く、白いワンピースを身に着けている。
「誰だ、お前は」
わかっていながら彼は尋ねた。彼女は哀しそうに微笑む。
「忘れたの、ラディゲ」
「早起…」
彼女を前にして、今まで意識にのぼることを拒否していた何かが消えてしまった。彼女の思い出に付随する、忌まわしい経験の記憶も今は気にならなかった。
もう、随分昔のような気がする。
復活した女帝ジューサによって追放され、記憶をなくして人間になったラディゲを助けてくれた、不治の病の少女。
それは人間としては、心休まる時間であった。
彼は一瞬、懐かしげに唇をゆるめかけた。だが、記憶を取り戻した自分が彼女をどうしたか…ラディゲは眉をひそめた。
「死んだはずだ、俺の力で岩になって」
「いいえ、まだ死んではいないわ。…あなたの力で私を元に戻して」
「それで俺に呼び掛けていたのか」
「ねえ、あの時のようにまた二人で暮らしましょう。あなたには優しい心があるわ。地球征服など忘れて、…ね」
ラディゲはいらだちを覚えていた。ここの空気は俺に安らぎを強制する。
最初に感じた、微かに危険な空気も気になっていた。そして早紀のこの態度。
何かがある。
彼は目を閉じた。この空気がどこから来るものか。彼は探ろうとした。
異変に気付いた早起が声を荒げた。ラディゲはそれを無視した。
「ラディゲ!!」
早起のすがるような声はほんの少し、彼の胸を痛くした。それを振り切るかのように彼は叫んだ。
「黙れ!!」
叫んでしまうともう彼は早起に構わずに意識を世界に広げていった。早起の声も前より弱くなったようだった。
帝王の座に腰を下ろしたトランザは瞳を閉じ、左手の指先を額に押し当てていた。彼の意識は彼が作り上げた次元世界とつながっていた。そしてその次元世界を通じてもう一人の意識と…。
その世界に亀裂が生じた。
誰かが世界の起源に気付いたのだ。彼ははっと目を開けた。慌てて意識を世界から引き離す。
立ち上がった彼は大きくよろめいた。肘掛けに手を掛けて体を支える。
「気付かれたか…?」
だが、多少のダメージは与えられたはずだ。
今回はこれでよしとするか。これ以上は俺の負担も大きい。
乱れた息を整えると、トランザはゆっくりと椅子から手を離した。
(しばらくは奴もおとなしくなるだろうよ)
彼は戸口に足を向けた。ベロニカの完成はもう、間近かであった。
ラディゲは怒りに燃えて目を開いた。
目の前にはまだ早起が立っていた。彼はもはや見ていなかった。
「トランザ…」
うめくようにつぶやいて彼は歯ぎしりした。
(こんなくだらないことで俺を陥れようとするとはな)
俺も甘く見られたものだ。
怒りと同時に彼はおかしさも覚えた。そこまで低く見られたことと、そう思われても仕方のない、トランザに付け込まれるスキのある自分に。
早起が不安そうにラディゲを見ていた。
よく出来た幻影。トランザの作り出した幻。俺を悩ませるために…ッ!
「ラディゲ、私と…」
「消えろ!!」
ラディゲは叫んだ。同時に彼の体から怒りが形となって早起に躍りかかった。光が彼女の体を包み込む。
偽者とわかった以上、彼は容赦しなかった。トランザにぶつけるはずの怒りは、激しく早起に、彼がいる次元世界に、襲いかかる。
トランザの手から離れた世界はあっけなく崩壊した。
「ラ・ディ・ゲ…ワタシハ…」
「人間の言葉を話すな…ッ!!」
指先から放射された最後の攻撃は、わずかに形をとどめていた早起の体を完全に破壊した。
3.早起
すべてが消え、真っ暗になった空間で、ラディゲは大きく肩で息をしていた。怒りに任せて余計な力を入れてしまったのだ。
(俺もまだまだ甘いのかも知れんな)
苦笑まじりに彼は考えた。
(…だが奴も同じだ、俺をこの程度で参ると思うなんてな)
成長しても、奴はしょせんガキだ。
真っ暗で、何もなくなったはずの空間で、何かが彼の神経を刺激した。
ここにくる前から感じていた安らぎの空気だった。
ラディゲはその空気の来る方向に目を向けた。
もうひとつ、彼が対決せねばならないものが残っているようだった。い
や、こうなった元凶が残っているというべきか。
ラディゲは岩だらけの地上に下り立った。
目の前には少女の形を辛うじてとどめている岩の立像があった。
彼は目を細めた。
「思いだしもしなかったぞ、トランザに利用されるまでな。俺の中に、お前への感情が残っていたとはお笑いだ」
彼の声にはひとかけらの優しさも含まれていなかった。
「あの時、殺しておけば良かったのだ」
…ずっと呼び掛けていたわ、あなたにこの姿に変えられてから…
早紀の声は、聞き取るのに苦労するほど微かだった。トランザが増幅させなければ、決して気付かなかっただろう。
しかしラディゲはもう聞いてはいなかった。
「あの時お前を殺さなかったのは、俺にまだ人間としての甘さが残っていたせいかも知れんな」
…あなたは本当は優しい人よ、思い出して…
ラディゲはゆっくりと右手を肩の高さまであげた。指先を早起に向ける。
「消えろ」
静かな声とは対照的に、指先からの次元エネルギーは物凄い勢いで彼女に襲いかかった。
激しい光と轟音で早起の最後の叫びはかき消され、早起の意思をとどめていた岩は一瞬にして、ひとかけらも残さずに燃え尽きた。
背を向け、次元のはざまへと足を踏み出したラディゲの心には、何の感情も湧いてはこなかった。早起の幻影を倒した時に感じた僅かな胸の痛みも、今はなかった。
バイロックの浮かぶ空間に向かいながら、ラディゲの心によみがえったのはトランザへの憎しみであった。そして裏次元伯爵としての誇り。
(待っていろトランザ。必ず、どんな手段を使ってでも貴様を倒す…!)
もはや俺に、貴様の付け入る弱点などないのだ。
まるでトランザがいるかのように、ラディゲは目の前の空間を睨みすえた。
彼の心にはもう少しの迷いもなかった。
確固たる足取りで、彼はバイロッックへと歩んでいった。
終章 栄光へ…
「うおぉおおおおおぉぉぉお…ッ!!」
石段のなかばで、男は右手を天にさしあげ、苦しげに叫び声をあげた。
男の体からスパークが飛び散る。男の体から発生した青い稲妻は、その右手を伝って回りの人々や街灯に襲いかかった。
人々が叫び声をあげて次々と倒れ、街灯のガラスが砕け散る。
男は何も見てはいなかった。崩れ落ちそうになる体を手すりで支え、体内の暴走しようとするエネルギーを必死で押え付ける。
その目は、今はいない相手を睨みすえていた。
「トランザぁ…トランザぁああッ!!」
激しい憎しみの声が彼の口から漏れた。耳にした者はその場に凍り付いてしまうに違いない、恐ろしい呪詛の叫びであった。
男は確信していた。
トランザが自分の前に倒れることを。
自分の前にはいつくばって許しを請うことを。
(そのために、俺はベロニカのエネルギーを吸収したのだ…人間の姿となって機会を狙っているのだ…)
男はよろめく体を抱えて、再び歩き始めた。
あと少し、あと少しだ。
…あと少しで俺はまた、“裏次元伯爵ラディゲ”として、栄光に包まれることが出来るのだ…