春の嵐、又は予感
窓からの風に揺られてか
アルベールの肘がわずかに触れたせいか
窓辺に置かれた丈高いテーブルの上
細い花瓶に捧げられた花が数輪、大理石の床に音も無く零れた
***
シャンゼリゼ通りに面したモンテ・クリスト伯爵の邸内にはいたるところに花が溢れている。
豪華な金の縁取りがされた色鮮やかな壷に、器に劣らぬ豪奢な花々が投げ込まれ芳香を放つ。
生花を惜しげもなく室内装飾に使えるは富豪の証。
人工都市のパリで、これほどの植物を毎日のように手に入れるにはどれだけの金がいるだろう。
しかも、長持ちする植木類ではなくすぐに萎れてしまう切花を。
だがその窓辺の花瓶はなぜか、他と違って平凡だった。伯爵の屋敷には不釣合いの、装飾のない花瓶と色味の乏しい花。
まるで、庶民の邸宅に飾られた野摘みの花のようだった。
「…あれ」
アルベールが視線を床に落とす。
「ごめんなさい、伯爵」
「…どうなさいました」
伯爵の視線が、そう言いながら床にかがみ込んだアルベールへと向けられる。
アルベールが何か拾い上げるのを感情のこもらぬ瞳で見つめていた。
「僕が落としてしまったみたいで」
彼が持ち上げた手にはピンクの花が握られていた。動きに合わせて細い茎がしなやかに揺れる。そのしなやかさのせいで床に落ちても痛まずに済んだらしい。
「風のせいですよ、きっと」
優しく首を振って伯爵は窓辺のテーブルに目をやった。アルベールもつられるように視線を向ける。
テーブルとその上の花瓶へ。そのそばで揺れる薄いカーテンへ。
花瓶の中にはアルベールの手の中と同じ花が一本残されて、寂しげに揺れていた。
「どうかなさいましたか」
いつまでも花瓶を見ているアルベールへ伯爵が問いかける。
「…あ、いえ、」
少しためらった様子でアルベールが振り返る。自分の考えたことを恥じるように顔を赤らめ、それでも言葉を続けた。
「伯爵のお屋敷に、こんなお花も飾られてるのは不思議だな…って思ってしまって。なんだか似合わないっていうか・・・あ、変な意味じゃないんです!こういう花だって素朴で良いと思いますし…」
あわあわと自分の前で手を振るアルベールの言葉を、伯爵は柔らかく遮った。
「…こういうのも嫌いではありませんので」
そして花を戻すことを促すかのような手振りを示す。
「ああ、ええ。伯爵」
アルベールは何故か、手の中の花を伯爵へと差し出した。花瓶の中へと戻そうとはせずに。
「…?」
その意図を読み取ろうとするように一瞬伯爵の眉が寄せられる。だがアルベールは伯爵のその表情すら気付かない。
ただ伯爵へ花を渡そうと手を伸ばしている。
恋しい人へ花を捧げようとする無邪気な少女のように。
伯爵は手袋をはめた手を伸ばしてそれを受け取った。
彼を見つめる少年の中にかつて同じように彼を見上げて花を捧げた女性の姿を見ることを彼は拒む。
その拒絶は、ただアルベールには自分を見つめて微笑む伯爵の姿としか映らなかった。感謝の意と限りない親愛の情が込められたいつもの眼差し、と。
アルベールも笑顔を返す。
そしてまた取りとめもなく交わされる先程の会話の続き。
***
再びカーテンが揺れる
花瓶に残されていた花は 今度は空へ飛べず
花瓶の縁に叩きつけられ
虚しく垂れ下がった
書いたまま放置していたのを今更上げてみました。
伯アル…?
私にとって巌窟は原作もアニメも断然伯エデです。
06.3.27
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