雪の日の正しい過ごし方

 パチパチと耳元で火がはぜた。
 時代がかった黒光りするストーブから覗く炎と燃える薪を五右ェ門は眺めていた。
 黒く磨かれた板敷きの部屋にあるのは、隅に設えられたストーブと床に敷かれた敷物だけ。
 敷物は虎皮。
 趣味が悪いと思うのだが、指先にあたる毛は柔らかく温かい。
 心の中で合掌しつつ、五右ェ門はありがたく腰を下ろしているのだった。
 本格的な雪が降り始めてもう三日。
 牡丹のような雪片が灰色の空からひっきりなしに落ちてくる。
 風はない為吹雪になってはいないが、一歩外に出たら降りしきる雪に押しつぶされてしまいそうだ。
 城内に漂うのは倦怠感と、奇妙な連帯感。皆、外に出れずに半ばくさっている。
 一階は既に雪に埋まっていた。
 上階にあるこの部屋は雪に埋まることはないが、格子越しに覗く空は昼間でも常に暗かった。
「この時期にここまで降るとはな」
 格子に手をかけて外を見ていた夕羅が呟いた。
「…異常気象とやらのせいか…」
 元より五右ェ門はこの場所―月虎の屋敷、にいる限りすることもない。雪が降ろうが降るまいが同じことだ。何もないことには慣れている。
 夕羅の方は仕事が片付かないらしく、苛立っているのが傍目にもわかるようになってきた。
「…まったく…予定が全部狂うではないか」
 窓格子から離れながら、夕羅は額を指で叩いた。
「何故こんなところにアジトを作ったのだ。冬は使い物にならんだろう」
「普段はこんなに降らん」
 五右ェ門の問いかけに苦々しげに呟く。
「降る前に撤収してるし、こういう場所の方が見つかりにくい」
「てっきり計画的に連れて来たのかと思ったが」
「…は?」
「雪で降り込められてどこにも逃げられなくなるように」
「馬鹿馬鹿しい」
 うんざりした口調で夕羅は吐き捨てた。もはや五右ェ門の問いに軽口を返す余裕さえ失っている。
「…少しは落ち着け」
 いらいらと動き回る夕羅の姿が可笑しくて、わざとのんびり五右ェ門は声を掛けた。
 その様子が癪に障ったらしく夕羅の眉が片方跳ね上がった。無言でしばらく眺めた末、五右ェ門の方に歩いてくる。
 横に座るかと思いきや、上から覆い被られた。
「……ッ!?」
 ちょうど、かつて虎の脇腹だった部分に頭が落ちた。腹筋を最大限活用して床への激突は回避した。
「あ、危な…」
 もうちょっとで脳細胞が数千個死滅するところだった。もうこれ以上増えることはないのだから止めて欲しい、と思う。
「だったら退屈しのぎでもさせてくれるのか?」
「………」
 その退屈しのぎというのがどういうものなのかは聞かなくてもこの状況でだいたい想像がつく。
「…退屈してるのか?」
 既に押し倒されている、かなり不利な体勢のまま五右ェ門はとりあえず話題をそらす努力を試みた。
「当たり前だッ」
 逆ギレ?という勢いで返事が返ってきた。
 話題をそらす努力は失敗に終わった様子。それどころかますます悪い事態へと加速させたかもしれない。
「どうせそっちも暇なのだろうが。付き合え」
「暇潰しかよ…」
 それでもいいか、と思ってしまうのは自分も退屈してるからだろうか。他にすることもない以上、五右ェ門も流されそうになる。
 耳をすませても、聞こえるのは薪が燃える音と、戸外に降りしきる耳には聞こえない雪の音。
 静けさに意識が吸い込まれてしまいそうだ。判断力とか、思考力とかも。
 でもこの男のペースに乗せられるのは嫌だった。たとえいつも最終的には乗せられてるとしても、だ。
 夕羅の指が敷物に広がった五右ェ門の髪を掬い取る。危険信号。視線を天井に彷徨わせた。逃げ道を探る。
「ええと、あれだ、敷物が汚れるし」
 自分の下にあるのは間違いなく本物で、高価な代物だった。それに多分生前の虎がこんなこと知ったら泣くだろうし。
「つまらんことを…」
 あっさりと切り捨てられる。
「だったら汚さないようにすればよかろう」
「…阿呆」
 その時奥の扉が開いた。部下の一人が顔を出す。
「夕羅様失礼しま…!?、し、失礼いたしましたっっ」
 目の前の情景に慌てて踵を返そうとする男に、夕羅はまったく動じることなくひらひらと手を振って応じた。
「良い。何だ」
 五右ェ門もそのままの姿勢で振り向く。
 もしかして傍から見たらすごい光景なのかな、と思うがなんだかもうどうでもいい。正常な判断力はやはりここ数日で抜け落ちていったようだ。
「…あ、あの…若い者たちが鎧の間を使いたいと言っているのですが…」
 視線を彷徨わせながら男が告げる。
「…ああ、あそこは今何も置いてないだろう、好きに使え」
「はい、ありがとうございます」
 そそくさと男は立ち去っていった。
「何?鎧の間って」
 夕羅を振り仰いで五右ェ門が聞く。
「んー…道場のようなものだな。普段は盗品置き場になっているのだが今は何も無いはずだ。剣の稽古でもするつもりだろう…奴らも暇を持て余してるだろうしな」
「ここにそんなとこがあったのか?聞いてないぞ」
「言ってない」
 即答する夕羅を五右ェ門は睨みつけた。
「だったら剣の相手をしてくれればいいだろうが」
「今は空いていない」
「だから早く言えよ、そういうことはッ!」
「忘れてた」
 あっさりと答える夕羅に五右ェ門は拳を握り締めたが、ふと思いついて意味ありげな視線で見上げた。
「じゃあ今度使わせろ」
 物凄く意地の悪い笑顔で告げる。
「真剣で相手してやるからさあ」
 その視線を受けて夕羅も唇の端を歪めた。危険な笑みを浮かべて見返す。
「…自分の方が強いつもりか…?」
「…負けるのが恐いのかよ、お殿様…?」
 しばらく上と下で睨み合った末、先に夕羅が目をそらして呟いた。
「飽きた」
 そう言って五右ェ門の胸に頭を乗せて溜息をついている。
 何様だコイツは…とさすがに五右ェ門も殺意を抱いた。こんな男に好きにされるわけにはいかない。
 なにやら口の中でぶつぶつ文句を言っているらしい夕羅に再び、話題を逸らすべく話を振ってみる。
「…おぬし冬は嫌いか?」
「自分の思い通りにならんことは嫌いだ」
 即答だった。
「…なるほど」
 笑いをこらえながら五右ェ門は呟いた。
 その態度がまた気に入らなかったらしく、夕羅が起き上がる。
「だから付き合え」
「…………嫌だ」
 結局元に戻ってしまった。
 雪が降り続く限りこの不毛な問答が続くのだろうか。かなり頭が痛くなってきた五右ェ門だった。





なんか、どうなのこれ?みたいな話ですが、私は結構こういう感じも好きです(アンタが好きでもねえ…)
(04.12.10)



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