とらわれびと

くちづけというのは特別なものではないかとなんとなく思っていた。
江戸の花魁だって、客に身体は許しても唇は許さなかったと聞くではないか。
夕羅はいつも無造作に唇を奪う。何の感情もなく。
行為のひとつとして。
彼にとって、くちづけが快楽を与える為の道具でしかないのなら。


自分は誇りをひとつ、失う。


手のひらが額に触れ、床に押し付けられる。冷たい手と冷たい床。共に無機質で心を持たない、ただの物質。
夕羅の手が五右ェ門の肌を滑る。
五右ェ門は天井を見ていた。
この部屋の中で、生きているのは自分だけではないかという思いにかられながら。
着物が剥がされる。
耳に届くのは布地の擦れる音と己の呼吸だけ。
夕羅は息をしないのだろうかと思う。
冷静に機械的に進む愛撫に息が上がっていく自分はとても愚かだ。
居たたまれなくなる。
冷たい愛撫から逃れようともがく意思とは裏腹に身体はもう動かない。
指先に唇に撫でられる度そこから縛られていくようだ。
首筋に触れる舌に息を呑んだ。顎先に指が触れ頬に唇が触れた。そして夕羅の顔が被さる。次に何が来るか五右ェ門は知っている。
近づいた唇を、寸前でかろうじて避けた。
ほんの一瞬触れた唇は冷たくも熱くも甘くもなく、ただのニアミス。
夕羅の動きが止まる。
「あ…」
自分の行動に自分でも驚いて五右ェ門は固まっている。しまった、と思っている。
「どうした」
唐突過ぎるその行動に、夕羅が咎めるような口調で問う。覗き込む夕羅の息が頬にかかる。その温かさにぞくりとした。
初めて生きている、と思った。
自分も夕羅も同じように。
ふいにおかしくなる。
「…はは」
思わず声を出して笑った。そしてそのまま笑い続けた。笑っていればこの呪縛から開放される気がした。
「何がおかしい」
その様子に夕羅の眉がつりあがった。
「別に」
夕羅から顔を背けたまま答える。
「ちょっと、思い出しただけだ」
軽く嘘をつける余裕も少しだけ取り戻した。
あと少し。
逃れられる。
「あまり萎えるような真似をするな」
「よく言…」
夕羅の指が顎を掴んだ。重ねられる唇を今度は避けられなかった。
深く深く侵されていく腔内で夕羅の舌はやはり温度を持たない。生暖かな液体が喉を満たし、滑り降りて氷に変わる。
また凍りつく。
夕羅の黒髪を透かして五右ェ門は天井を見る。

ああ。
自分がここにいることも夕羅に抱かれていることも
くちづけも触れる指もこの空間さえも

全てが嘘なのだ。
そう思わなければ正気ではいられない。






昔半分だけ書いて放置していたものを掘り出してきました。
展開案が2パターンあって、どっちにするかかなり迷いましたけどこっちにして良かったと思ってます。
ただオチがちょっと逃げ過ぎた。タイトルもどうかと思う。




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