梅日和
大気に梅の香りが満ち、春の気配を漂わせる霞んだ空と相まって全てがぼんやりと舫いで見える。
生えている木はまだそれ程立派ではなく、数も少ない。だがここ数日の陽気がほとんどの花を綻ばせ、辺り一面に芳香を漂わせる。
梅の木だけが植えられたそこは下草がきっちりと刈り込まれ、地面だけを見ると殺風景な場所のようでもある。
そんな梅の園のほぼ真ん中。
月虎夕羅はその中の一本を眺めていた。静かな時が流れる。
微かな足音が耳を掠めた。
振り返る夕羅めがけて何かがシュッと音をたてて飛んだ。
触れる物を切り刻みそうな勢いでするどく飛ぶそれを、夕羅は指先で受け止めた。
三つに折り畳まれた白い紙。透かしの入った上質紙は夕羅には見覚えのあるものだ。
何故なら自分が送ったものだから。
その隙間から、はらはらと白い花びらがこぼれて夕羅の着物にかかる。
問い掛けるように夕羅が視線を向ける。
数歩離れた梅の木に、寄り添うようにして五右ェ門が立っていた。唇を固く結んだままだ。
「いい時期に来たな」
「…相変わらず不愉快な『招待状』を寄越しおって」
フッと笑った夕羅に対し、五右ェ門は唇を歪めて吐き出した。
「だったらなんで来た?」
夕羅が指に挟んだ紙を振ってみせる。残りの数枚が中から滑り落ちて風に乗った。
「…ちょうど暇だったのだ」
不機嫌そうに横を向いて呟いた五右ェ門の姿をしばし眺めると、それ以上は構わず、夕羅は奥へと足を進めていった。五右ェ門は渋々といった様子で後を追う。
冷たい風が頬を撫で、雲が流れていく。雲の動きに、梅の花が灰色に沈んだり白く輝いたりを繰り返す。
通りすがりに手を伸ばして、夕羅は手近な枝を折り取った。
「あ」
五右ェ門は思わず声を上げ、更に口の中で呟いた。
「折るか、普通…」
駆け寄って見上げる。
折り取られた跡を、背を伸ばして指で撫でた。ささくれだった緑色の生木が指に刺さる。
折った枝を手の中で弄んでいた夕羅は振り返ると、非難めいた五右ェ門の視線を受け流して近付いた。
五右ェ門の着物の袂へと、折った枝を挿し込む。
空気中に漂うのとは異なる梅の香りがふわっと鼻をくすぐる。花びらが一枚、襟元に落ちた。 夕羅の指が伸びて白い喉元に触れる。花を拾い上げるでもなくそのまま皮膚の上に留まっている。
夕羅の手を避けるように首を伸ばし五右ェ門は視線を上に上げる。そうすると夕羅と目が合うことに気付いて横を向いた。
「何の真似だ?」
指を離さずに夕羅が問う。
「…何が?」
横目で夕羅を見ながら五右ェ門は眉を寄せた。
ようやく五右ェ門の肌の上から花びらを拾い上げ、夕羅は指で弾いた。
「先程の…花びらは」
「さあ…別に」
ふっと視線を逸らして五右ェ門は空を見上げる。
「さっきここに来る途中、もう盛大に散っている木があったから受け止めたまでだ」
それから思い出したようにくすり、と笑う。
「だが随分と綺麗にこぼれたな」
くすくすと笑って震える五右ェ門の白い喉にもう一度触れると、再び夕羅は先に立って歩き出した。
笑い納めた五右ェ門はまた木を見上げる。
梅の枝を取り上げ、夕羅が折り取った部分に持っていった。元に戻るわけの無いその場所へ元のように当て、そっと溜息をつく。
「貰っていく、な」
木に向かって呟くと五右ェ門は手の中の枝を空にかざして振ってみる。
花びらが一枚、ひらりと舞い落ちた。
必殺・何も起こらないシリーズ(いつからシリーズに)。
こういう何にも起こらない話を書くのが結構好きみたいです。
(04.3.12UP)
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