見えないもの、見えるもの
―― 失敗した・・・
縄で後ろ手にしっかりと縛られ、目隠しまでされて五右ェ門は冷たい板の間に座っていた。周りで声を潜めて話す男達の声を聞きながら、頭を巡るのはその言葉のみ。
囚われの身となったことへの屈辱はもちろんある。油断していたつもりは毛頭ない。だが、今こうしているということはやはりどこかに隙があったのだろう。そのことは自分で責任を取らねばなるまい。
しかしそれ以上に今五右ェ門を苛んでいるのは、囚われた後に耳にした周りの男達の会話だった。
忍び装束らしき扮装で、顔を隠していたこともあり、彼らについて五右ェ門は心当たりがなかった。腕試しのつもりか、と思ったほどだ。
『この男が、月虎の頭領のお気に入りだというのは本当か・・・?』
『普通の男ではないか・・・もっと幼い子供かと思ったが』
『いや、しかしこれでなかなか綺麗な顔をしているぞ・・・』
自分が月虎夕羅に対する人質だと知った時、五右ェ門は目隠しされた暗闇の中で、更に深い暗がりに落ち込む気分を味わった。
よりにもよって自分が・・・、これでは自分は・・・
がっくりと首を垂れた五右ェ門は、逃げる隙を伺う余裕さえ一時失った。
おまけに月虎一族が、その挑発に乗って自分を助けに来るなどと思えるわけがない。
口が利けたなら、自分を人質に取るなど無駄なことと周りの男達に言ってやりたかったが、口にもしっかりと猿轡がされていた。
妹を誘拐した方がよほど、彼らにとっては実のある行為だと思うのだが・・・
暗い気持ちで、五右ェ門は不自由な猿轡の下で唇をゆがめた。
どうも、自分が石川五右ェ門であるということには彼らは気付いていないらしい・・・と、五右ェ門は気取り直して男達の会話に耳をそばだてた末に、そう結論した。
気付かれたら、どうなるのだろう。まさか開放してはくれまい。
それよりも、ルパン達に対する人質にまでされる恐れがある。そう気付いた途端、五右ェ門はよりいっそう焦燥感に駆られた。
月虎にもルパン達にも、こんなことは知られたくはない。
なんとか己の力のみでここから逃げ出さなくては・・・と五右ェ門が決意を新たにした時だった。
遠くから怒号が聞こえた。
周りにいた男達が慌しく動く気配がした。
遠くで声に混じって聞こえていた金属を打ち合う音が、だんだん自分の方へと近付く。目隠しをされた五右ェ門の耳に、悲鳴と肉が斬られる嫌な音が響いた。金臭い匂いが辺りに満ちる。殺気が痛いほどだ。
自分のすぐ横で何かが動く気配がした。その怒りが自分に向けられていることに気付いた五右ェ門は、不自由な体勢ながら身構える。
その瞬間、自分の頭上の空気が切り裂かれ、怒りは断ち切られた。五右ェ門の頬に生暖かいものが飛び散る。
まだ遠くからさまざまな音が聞こえていたが、五右ェ門の周りは静かだった。殺戮と犠牲の上に成り立つ静けさ。
誰かが五右ェ門の猿轡を取り去った。それから手首を縛っていた縄を切る。
「・・・夕羅・・・」
乾いた声で五右ェ門は呟いた。夕羅は何も言わず、猿轡によって痛めつけられた唇の端をそっと撫で、ついで舌で舐めた。
背後の物音もいつの間にか収まり、足音が聞こえた。
「夕羅様」
足音は立ち止まり、声をかける。
「終わりました。全員死んだものと」
夕羅は立ち上がり、振り返った。
「この程度の組織で、つまらぬことを考えたものよ・・・戻るぞ」
「はっ」
足音は去り、夕羅はまだ座り込んだままの五右ェ門の方へと屈み込んだ。
「目隠し・・・」
なぜか取って貰えなかった目隠しの布を外そうと上げた五右ェ門の腕を夕羅は抑え、その体を抱き上げた。
「まだ付けてろ」
軽々と横抱きに抱え、夕羅はそう言って歩き出した。
「そなたの見るものではない・・・」
見えない瞳で、問い掛けるように夕羅を見上げた五右ェ門だったが黙って従った。
目隠しをされた五右ェ門にはどこを歩いているのかわからなかったが、建物を抜け洞窟らしき場所を通り、ようやく外へと出た。肌に触れる空気が変わったのがわかる。
そこから更にしばらく歩き、ようやく夕羅は五右ェ門を降ろし、岩の上に座らせた。手を回し、目隠しをとってやる。
初めて五右ェ門は、自分を覗き込む夕羅の顔を見た。
林の中、消えかけた細い月のかかる闇の中で、それでも五右ェ門が眩しげに目を瞬かせるのをおかしそうに見つめている。
「・・・なんで・・・」
夕羅の手の細い布を見下ろし、五右ェ門は抗議するように言った。
「・・・そなたは、美しい物だけを見ていれば良い」
そう言って夕羅は、五右ェ門の髪を撫でた。
「せめて、私の前だけでも・・・」
立ち上がり、手にしていた布を無意識に片手に巻きつけながら夕羅は離れたところに立つ部下達の元へと歩いていった。
たったこれだけで踏み込んだのか、と思えるほどの数だったがいずれも腕の立つ精鋭なのだろう。誰もが腕や装束を返り血に黒く染めながら、それに興奮する様子もなく静かに佇んでいる。
夕羅の着物にも多くの染みが飛び散っていた。
五右ェ門は自分を見下ろし、僅かな月明かりに浮かぶ血模様を眺めた。頬に飛んだ生暖かさを思い出しそっと撫でると、乾いた泥のような感触が手のひらを伝わった。
夕羅が五右ェ門の方を振り返った。部下達はすでに先に立って歩き始めている。
五右ェ門は立ち上がり、夕羅の元へと歩いていった。横に並んで見上げ、呼びかけた。
「夕羅」
「ん?」
「・・・ありがとう」
ほんの少し口を尖らせ不本意そうに呟く。夕羅は初めて優しく微笑んだ。