酒は飲んでも…

目が覚めると鼻先にさらりと黒髪が触れた。
まだ酒の残る頭がそれを理解するまで数秒かかった。
ここは自分の部屋ではないのか、と銭形は慌てて起き上がる。
映ったのは目に馴染んだ安アパートの一室。一目で部屋の隅々まで見渡せる。
仮住まいのつもりで借りたはいいがほとんど日本に居らず引っ越す暇もなく、いつしか最古参の住民となっている。
年に半分も暮らしてはいないが、確かにここは銭形の住まいであった。
となるとこの隣りで眠る男は…
ここまで考えて、男?と思考が停止した。顔を覗き込む。
「…ご、五右ェ門…?」
狭い一人用パイプベットの上、自分の横で眠っていたのはルパン三世の仲間、石川五右ェ門だった。
「お、おおおおおおおおおおおおお!?」
驚きのあまり背後に飛び退ったが、壁に寄せて置かれたベットの上に余地はない。ものすごい勢いで壁にぶつかり建物全体に衝撃が走った。
がたん、とベットも音を立てて揺れる。肩に痛みが走ったが今はそれどころではなかった。
直後、隣の部屋からどんどん、と薄い壁を叩く音。
隣室の住人からの抗議の音が響く中、その黒髪の主はゆっくりと起き上がった。
「ん…何事だ…騒がしい」
起き上がった五右ェ門が肌着しかまとっていないのを目にして銭形は更に恐慌に陥る。
「ああ、銭形殿」
対する五右ェ門は同じベットの上に銭形がいることに驚く様子もない。
「昨夜は失礼したな」
けろりとそう言い放った。
銭形の方は最初の衝撃から未だ立ち直れずにいる。それでも壁と一体化したままの姿でなんとか問いかけた。
「ななななななんでお前がわしの…わしの……部屋に」
ベットに、とはさすがの銭形も口には出せなかった。
「覚えておらぬのか」
五右ェ門は目をぱちぱちさせてあきれたように言った。
「…な…何を…?」
あいかわらず恐る恐るしか聞き返せない銭形だった。


それは昨夜遅く。
久しぶりに日本に降り立った五右ェ門は夜の繁華街を歩いていた。
飛行機の到着時刻が遅れたせいで東京に着いた頃にはすっかり夜も更け、開いている店は呑み屋だけという状況。
食事もしたいし泊まるところも探さねばならない。
どうしたものか…と歩きながら思案していたところ酔っ払った銭形にばったり遭遇したのである。

五右ェ門じゃないかなんだ偶然だなルパンは一緒じゃないのか?一人かそりゃ残念だわしか?わしは一人で呑んでたところだそうだここで会ったのも何かの縁だ一緒に飲まんか日本には?着いたばかりなのか、ん、泊まるところがない?じゃあわしの家に来い構わんどうせ独りだ遠慮するな

云々。
完全に酔うと面倒くさい親戚のおっさん状態の銭形に絡まれ押し切られ、五右ェ門は銭形の部屋に付いていった。
ところが部屋に入った途端銭形はベットに倒れこみ熟睡してしまい、五右ェ門は仕方なく毛布を一枚拝借し床に寝ることにしたのである。


……それが事の顛末。


「まあ、拙者も日本に着いたばかりで宿も決めていなかったから助かったといえば助かった。銭形殿かたじけない」
「…へ、へえー…わしがそんなこと…」
説明されてもやっぱり思い出せない銭形だった。
敵を誘う方も誘う方だが、敵に付いて来る方も付いて来る方だ。
しかもこっちは酔っていたが向こうは素面。
いや、酔っていたとはいえ警察官たる者が、という方が問題か?
しかしその説明を聞いても残る疑問があった。
再び恐る恐る問いかける。
「…で、床に寝ていたはずのお前が何でわしのベットで一緒に寝とるんだ?」
「寒かったし、なんだか下から変な音がしてうるさくて眠れなかった」
悪びれることなく五右ェ門は答える。
「…あ、ああ…何か事務所がな…入っとってな…」
自分の方が間違った質問をしているようで、何故か言い訳がましくなる銭形だった。
階下には怪しげな会社が入っていて昼間人の気配がすることもあったが何をしているのかはわからない。いつか調べてやろうと思っている。
「銭形殿が隅のほうで寝ているから拙者の入る余地もあるかと思って」
更に五右ェ門が付け加える。
確かに銭形はどんな広いベットだろうとも隅の方で寝てしまう貧乏性ではあった。
経費で泊まった某国ホテルで、朝起きたらクイーンサイズのベットの端っこにちんまり寝ていた時には涙が出たものだ。
とはいえまだ残っている疑問が。
「…じゃあ何故着物を脱いでるんだ」
「ベットに入ったら意外と暑かったのでな」
これもまたさらっと答えが返って来た。
床の上、五右ェ門が脱ぎ捨てたらしい着物の横には銭形の服も転がっていた。ただし、銭形のものはドアのところからベットまで点々と続いて道が出来ている。
慌てて銭形は自分の姿を見下ろした。今まで五右ェ門の服装にばかり気をとられていたがこの状況では自分もかなり際どい格好に違いない。
酔うとどんどん服を脱いでいき、気が付けば全裸で寝ていることの多い銭形であったが昨夜は途中で力尽きたか、客がいるので遠慮したか、視線の先の自分は丸首シャツとトランクス姿。
自分の理性に感謝した。
五右ェ門はそんな銭形にはもう構わず、ベットから降りて着物を拾い上げた。服と共に埃が舞い上がる。
五右ェ門が眉をしかめ着物を軽くはたいた。
「少々埃っぽいのではないか、この部屋は」
「まあ…あまり帰ってこんからな」
銭形は視線を泳がせた。
五右ェ門が呆れたように銭形を見る。
「泊めてもらった礼だ。あとで掃除をしてやろう」
着物に袖を通しながらそう言った。
その言葉は少々尊大に響いたが銭形は目を瞑ることにした。
銭形の目の前でさっさと着替え終えると、五右ェ門はベランダに近付いた。カーテンを開け戸を開く。
ささやかなベランダからは隣のアパートの壁しか目に入らない。それでも風が流れ、ふわりと五右ェ門の髪が舞った。
壁に反射した朝日が室内に差し込み、まだ酒の残る銭形の目には強烈に映った。
しばらくは周囲の環境を興味深げに観察していた五右ェ門だったが、ふいに銭形の方に向き直った。
「ところで銭形殿、朝食はまだか」
「はあ?」
「腹が減った」
無邪気に言い放つ相手に言葉を失って、銭形はしばらく口を開けたまま五右ェ門を眺めてしまった。なんとか気を取り直して答える。
「こういう場合は普通、泊めてもらったほうがお礼にと言って作るもんじゃないのか」
「拙者は料理は作れん」
「………」
「だから掃除をしてやると言った」
この態度にも目を瞑るべきだろうか、と銭形はしばらく逡巡する。 やがて溜息をついて立ち上がった。
「わかったよ、男の料理だが文句は言うなよ」
何かあったかと考えながら冷蔵庫へ向かう。
「よろしく頼む」
その背中にまたも尊大な態度で声が掛かった。銭形は再び溜息をつく。わしはまったく食欲ないんだがな…と二日酔いのの頭を抱えた。

しばらく酒は止めよう…とその日銭形が誓ったのは言うまでもない。









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