威音のバレンタイン大作戦

年も開けてまもない頃。
月虎夕羅が廊下を歩いていると声が掛かった。
「兄者」
声を掛けてきたのは妹の威音。
紙を挟みこんだ事務用バインダーを手にしている。何かの作戦報告書か、と思いきやペンを手にしてその紙になにやら書き込む構え。
夕羅に問いかけてきた。
「簡単なアンケートにお答えください」
「は?」
「第一問」
兄の戸惑いをよそに、威音は事務的に事を進める。
「チョコレートはお好きですか?」
「…はあ?」
「チョコレート。ご存知ないですか?」
「知ってるが」
「好きか嫌いか聞いています。さくさく答えていただかないと先は長いですよ」
「…好きではない」
「では第二問」
「だから何なのだ」
「第二問!」
「ハイ」
「和風チョコレートというのはどうでしょう」
「どうでしょうとは」
「抹茶風味とか、餡の入ったものとか、桜味とか…」
「何にせよチョコレートだろう」
「まあそうです」
「では好きではない」
「…そう、ですか…なるほど…あくまでもチョコレートはお好きでない、と。…我侭な(舌打ち)」
「今最後に何か言わなかったか」
「いいえ、何も」
そらとぼけながら、威音は今まで書き込んでいた紙にペンで大きくバッテンを書いた。
用紙にびっしりと書き込まれていた質問事項があっという間に無用となる。
紙を裏返し、それをペン先でコツコツと叩きながら威音が続ける。
「うーん…それならば第三問…」
「お前、今考えながら言ってるだろう」
「第三問!」
「ハイ」
「えーっと…んじゃあ…困ったな…和菓子とかはお好きですよね」
「だから今考えたよな、それ」
「お好きですよね!」
「…嫌いではない」
「第四問…和菓子だったら何でもいいですか」
「どの範囲での何でもだ?」
「普通の範囲です」
「まあそれなら…あまり甘いものは好きではないが」
フンフンと頷きながら威音は紙にペンを走らせた。
そして書き終えるとそれを満足気に眺め、兄に向き直った。
深々と頭を下げる。
「バレンタインに関するアンケートへのご協力、ありがとうございました」
「バレンタイン?」
「じゃ、兄者またいずれ」
困惑する兄を残して、威音は颯爽と去っていった。
わけがわからないながらもどこか不安を感じる夕羅であった。


時は流れて、二月の半ば。
しばらく姿の見えなかった威音が夕羅の元へとやってきた。
手に何かかさばる包みを抱えている。風呂敷で包まれているので焼き物の類かと思ったが、心なしか甘い匂いがそこから漂ってきている。
「どうぞ、兄者」
と差し出してきた。
「なんだこれは」
「見てわかりませんか」
風呂敷で中身がわかったら苦労はしない。
「ヒント。今日は二月の十四日です」
何かあっただろうか。
「あ、今日は大安ではなかったか?」
「そうですけど違います。今日はバレンタインデーですよ、兄者」
「バレンタインデー?」
「男なら決して忘れてはならない日です」
「…そうなのか?…で?」
「…バレンタインデーは何をする日かご存知ないんですか」
「確か…女が男にチョコレートを渡す日、とか」
普段あまり使わない脳内の『世間の常識に関する引き出し』を探り、夕羅は答えた。
そういえば一ヶ月程前に、威音がバレンタインのアンケートとか言っていたような。ではそれがその結果なのか。
「チョコレートではないですが。…兄者の我侭のせいで」
「今最後に何か言わなかったか」
「いいえ、何も」
再びすっとぼけて、威音が包みを兄の前に置く。
「開けてみてください。私の手作りです」
「…手作り?」
自分の妹は料理が得意な人間だったろうか…と不安を覚える夕羅であった。
「ええ頑張りました。だって兄者は『本命』ですもの」
威音、さりげなく大告白。
「…あのな、」
その言葉に夕羅は頭を抱える。
早めに誤解は解いておいた方がいい。
最近弟のように脳まで筋肉となってきた様子の妹に、きちんと言い聞かせなければ。わかるような言葉で。
そう決心して、諭すように夕羅は威音に話しかけた。
「いおん、ふつうきょうだいにわたすばあいは『ぎり』というのではないのかな?」
しばらくの沈黙の後。
「兄弟など関係なく、本当に大切な方に上げるのが本命です」
完全に子供扱いされたことにも気付かず、威音はにっこり笑って答えた。
更に威音は畳み掛けた。
「世間の女の子の間では常識ですわ。兄者はそういうことには疎いんですから、もう」
「…そうかな?」
『世間の常識』に簡単に言いくるめられる夕羅であった。
「さあ、開けてください」
「う、うむ…」
意を決して開けてみる。布を開くと中には和紙にくるまれた物が。紙を破ると 木の箱が現れた。
なんだか茶碗でも出てきそうだ。むしろ茶碗であって欲しい気がする。
蓋を取ると茶碗…ではなく謎の物体が複数現れた。
「…これは何だ」
「何って和菓子ですよ、兄者の大好きな」
大好きとまで言った覚えはないが。
一生懸命目を凝らすとそういえば和菓子というか不恰好な大福に見えないこともないかも…。外側は求肥か?
ところどころ中身が飛び出したり、妙な色が透けて見えたり、赤いものが付いているのは見なかったことにした。
が、上に何か輝くものが散りばめられている点は見ないわけにはいくまい。
たまに食べ物に乗っているのを目にする機会はあるが、あれはもっとふわふわしていた。今目にしているものは大きくて分厚くてものすごく重そうで半分めり込んでいる。
威音に促され手に取って見ると菓子ではない重さがあった。思わず取り落としそうになる。
「上に乗っているのは…金か?普通は金箔ではないのか」
「金箔ではあまりに安っぽいので塊にしたんです」
いや、食べられないから。
「中にも入ってるんです。豪華でしょう」
いやだから、食べられないから。食べても消化されずにそのまま出ちゃうから。
そうっと割ってみると確かに中にも金色の塊が。
中は比較的食べられるものかもしれないという彼の期待は裏切られた。
そして何か茶色い物も入っている。妙に甘い匂いがした。
これは…もしかして。
「チョコレートが入ってないか」
「ええ、やはりバレンタインですから。世間では流行っているんですよ、チョコレートの和菓子が。ご存知ありません?」
「…茶会では出てこないな」
ていうか出てきたらヤダナ(夕羅、心の叫び)
「…というか、チョコレートは好きではないと言ったはず…」
「兄者ッ」
ばん、と畳を両手で叩き、威音が身を乗り出す。
「バレンタインにチョコレートじゃないものを贈るなんて邪道です!」
月虎威音、青春の主張。
「バレンタインとは元々チョコレートを渡す習慣ではないだろう。それは日本だけのも…」
「お兄様っ」
珍しく一般常識を語る夕羅を威音が遮った。近づいて夕羅の手を両手で握り締め、潤んだ瞳で夕羅を見つめる。
「…おにいさま?」
「お兄様は日本人ですよね?そうであるならば日本の流儀に従うのは当然です!」
「…チョコレートは日本文化ではなかったと思うのだが…」
というかバレンタインデーもですよ!(藤原啓治のナレーション風に)
…和風チョコレートとチョコレートの和菓子の違いって何だろう。
威音の作品を手に思わず遠い目をしてしまう夕羅であった。
だいたいアンケートした意味ないじゃん。
「さあ、お兄様っ。遠慮なさらずにお召し上がりください」
相変わらず潤んだ瞳で見上げてくる威音を前に、夕羅は生命の危機を感じていた。
「ええと、威音…お前の心がこもっていると思うととても勿体無くて食べられないのだ。も…う少しこのまま眺めさせてくれ…」
しどろもどろ。
「…それはうれしいですが…、生ものですのでなるべく早く召し上がってくださいね」
少し不満そうな表情ながらも威音は引き下がり、夕羅の寿命は少し先延ばしになった。
去り際、威音が振り返る。
「あ、そうだ」
「まだ何かあるのかッ!?」
夕羅、思わず及び腰。
「兄者、世間ではホワイトデーには三倍返しだそうですよ。楽しみにしてます」
威音の『世間では』攻撃の前に、ホワイトデーって何?と思いながらもこれ以上は恐ろしくて聞けない夕羅だった。


後日なんとか『世間の常識に関する引き出し』をひっくり返してホワイトデーについて思い出した夕羅は、威音の部下を呼び出した。
「威音は先日のアレに幾ら位かけたんだ」
「…そうですね」
威音の側に常に控えている彼女はちょっと考え込んでから、紙を取り出した。
「まず、風呂敷ですが」
「風呂敷も含むのか?」
「特注ですから。威音様の作られたお菓子のイメージを壊さず引き立てる柄で作らせました」
なんで風呂敷まで特注するんだ。
「数週間で作らせたので特別料金も発生しています」
「それは私には関係ないのではないか!?」
夕羅の当然の突っ込みを気にする様子もなく相手はさらさらと書き出していく。
「それから包み紙は、今では途絶えた平安時代の伝統を受け継ぐ模様を梳き込んだ和紙ですのでこれくらい」
とっくに捨てました。
「箱は、名品を収める為の桐箱を作っている工房の特注品なので…」
…捨てました。
「小豆は丹波から取り寄せ…失敗してだいぶ無駄にして数回取り寄せてますし」
「だからどうして失敗分まで含むのだ!?」
「チョコレートはベルギーから個人輸入してます。飛行機便を利用したので値段は…」
「飛行機だろうが船だろうが私には関係ない!」
「それから金が入ってますよね」
「…ああハイハイ、入ってた入ってた」
だんだん突っ込むのも疲れてきた夕羅だった。
そんなやりとりの末。
「総額は…」
彼女はさらさらとよどみなく総額まで書き込んだ。絶対子供の頃算盤をやらされていたクチだな、と夕羅は思った。
「こんなものでしょうか」
紙を差し出す。
その数字を見て三倍の額を想像した夕羅はしばらく無言だった。

「…城が建つな」

もしかしてホワイトデーには自分専用の城を建ててくれということだろうか…とその後しばらく夕羅は考え込むこととなる。



オマケ



男受け祭提出作品。ホワイトデー開始企画に向けてバレンタインネタを書きました(爆)。
最初に威音×夕羅シリアスで見事玉砕した結果、私が普段考えてる二人を書けばいいのではないか?と思って書いてみました(お前が普段考えてる二人ってどんなんや)。

原作の威音って実は夕羅様におもいっきりタメ口だって皆様ご存知でしたか?私はこれを書く直前に気が付きました(お前〜)。でも敬語威音の方がいろいろ面白い。

※解説
藤原啓治のナレーション → ケ○○軍曹のナレーション

お粗末様でした。



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