First Love
『愛してるなんて簡単に言う男、信じられないわ』
誰だったか、もう顔も名前も忘れてしまった女が昔そう言った。
真実だと思った。愛してるなんて感情は簡単なものじゃない。
女に言われたって信じられない。
好きになった女は大勢いる。付き合った女も。
けれど愛せなかった。たぶん相手もそうだったろう。
愛なんてものは一生関係ないものだと思っていた。
そのはずだった。
「次元ッ、こちらだ」
敵の銃撃に応戦していた次元に、五右ェ門が低く呼びかける。
五右ェ門の指差す先には細い横道が見えた。
更に数発応酬してから次元は五右ェ門の後を追った。
細い路地を駆け抜け、鉄パイプの階段を登る。
登り切るまで敵に姿を見られずにすんだが、おそらく音を頼りに追ってくるだろう。壊れかけた建物の廊下を走り、窓から横の建物に飛び移る。
いくつかの部屋を通り抜け階段を下り、二人はようやく建物の隙間の空間に潜り込んだ。
敵の気配に耳をすませつつ、呼吸を整える。
空間は狭く、二人が立っているのがやっとだった。少し動くだけで五右ェ門の髪が次元の頬をくすぐる。次元はその度に少しずつ居たたまれなくなっていった。
「ここなら見つからないだろうか」
次元の方を向いて呟くように五右ェ門は言った。柔らかい呼吸が次元の首筋にかかった。
「動かずに静かにしてりゃな」
分かれて逃げたルパンと不二子も気がかりだったが、自分達の置かれている状況を思えば、呑気に人の心配をしている場合ではなかった。
敵の各々の能力はたいしたことはなかったが、何せ数が多すぎる。ここはひとまずやり過ごし、合流して状況を立て直す。
おそらくルパンも同じ考えだろう。
そんな危機的状況なのに、自分のすぐ傍で緊張した面持ちで佇む若い侍にどうしても意識が集中してしまう。次元は黙って自分の顎鬚を撫でた。
男のくせに凛とした美しさを持つ五右ェ門を、次元は最初芯から受け入れたとは言いがたかった。
腕は立つが、どうにも世間知らずで融通も利かない。
信用できないというのではなかった。この世界で生きていくには純粋すぎる五右ェ門がついつい気になってしまう。それが鬱陶しかったのだ。
やがてその感情が違うものへと変化するのに時間はかからなかった。男に惚れるなど考えたこともなかったが、そのたたずまいにも男とは思えない白磁のような肌を持つ横顔にも次元はつい見とれてしまうのだ。
だからと言って、どうこうしようという気はなかった。どうにかなるような男とは思えなかったし、下手に手を出して気まずくはなりたくなかった。
それでも。
―― 限界かもしれない・・・
心の奥底で、次元は溜息をついた。
足音が遠くに聞こえた。二人に緊張が走る。
五右ェ門が音のする方に耳を傾けた。黒髪が次元の喉に触れる。ぞくり、と全身が粟立った。
足音は近付くことなく、去っていった。二人は同時に息を吐き出し、顔を見合わせて笑った。それでもまだ油断は出来ない。
五右ェ門が自分の唇に指を当てた。人差し指を立て、唇の真ん中に当てる。
「ここなら、静かにしていれば見つからぬ、な・・・」
次元に向かってふっと微笑む。少し緊張が解けたらしい。全身を包む雰囲気が柔らかく変化していた。
次元は誘われるように、唇に当てていた五右ェ門の手に触れた。その手を取り、自分の口に持っていく。
五右ェ門はきょとんとして次元を見ていた。次元は唇で指に軽く触れ、手を握ったまま五右ェ門の唇を奪った。
五右ェ門が息を呑む。離れようと身動きするのを、向かいの壁に押し付けた。
再び足音が近付いてくる。今度は複数だった。それも近くに。
その気配に、五右ェ門も動くことが出来ず次元の下で身体を固くしている。次元はゆっくりと五右ェ門の中に舌を進めていった。声を出すわけにも行かず、五右ェ門は成すがままだ。
舌で五右ェ門を味わいながら、次元は目線を外へと向けた。片方の手は背後に回り、腰に挿したマグナムのグリップを握り締めている。
自分達のすぐ横を足音は通り過ぎていった。外の道路からは、直接自分たちの姿は見えないはずだった。が、次元の全身にもさすがにじっとりと汗が滲んだ。
完全に辺りが沈黙してから、次元は五右ェ門を離した。
「・・・行ったな」
やれやれ、と言うように銃から手を離し、帽子を被り直す。五右ェ門に目をやると自分の身に起きた出来事に呆然と止まったままだ。
顔色が蒼白になったり、赤くなったりと変化する。
「行くか」
次元はそう言ったのみで、五右ェ門に背を向けかけた。
「ま、待てっ」
慌てて五右ェ門が声を上げる。まだ警戒しているのか、それでも声の量を抑えている。
「・・・何の真似だ・・・」
振り返った次元の顔をまともに見られず、五右ェ門は向かいの壁の下の方を見つめている。
「何が」
「な、何がって・・・っ」
あまりにもそっけない次元の言葉に、五右ェ門が顔を上げる。顔色が蒼白の方に傾いた。
照れ隠しのつもりだったが、やはり言葉が冷た過ぎたな、と次元もちょっと反省する。少し考えた挙句、こう言ってみた。
「好きじゃなきゃ、あんなことしねえよ」
「馬鹿なことを言うな」
信じてもらえるとは思ってなかったが、言下に否定された。次元はあきらめ、壁に手をついて歩き出した。
先に立って空間から抜け出ながら、背後の五右ェ門に声を投げかける。
「俺は美人が好きなんでね」
「誰が美人だ・・・っ」
売り言葉に買い言葉状態で反論した五右ェ門だったが、しばらくして嫌そうに呟いた。
「・・・美人だったら、なんでもいいのか」
「・・・そうかもな」
隙間を抜け、廃墟に囲まれた細い路地を歩きながら、次元は振り向きもせずに答えた。
いや、本当は。
美人が、じゃなくて、五右ェ門が、いいんだが・・・
その言葉を結局次元は口にはしなかった。
五右ェ門は納得できない顔で、一定の距離を保って次元の後ろを歩いていた。
・・・その距離が再び縮まるのは、もう少し先のこと。