蜘蛛の巣の迷宮
5.
背後からの物音に五右ェ門は振り返った。
先刻から変わらぬ姿勢で縁側に腰を下ろしていた少年の背後で、空は既に赤みを帯び始めている。
夕羅と、その数歩後ろに立つ速水の姿を五右ェ門は驚く様子もなく見上げた。感情のない瞳が夕羅を捉える。久しぶりの再開は彼に何の感情も与えなかった。
その態度を夕羅は面白そうに見つめる。
この子供に、感情は両極にしか宿らぬのか。
夕羅は手にしていた包みを五右ェ門に向かって差し出す。それを見た少年の表情がわずかに動いた。
「お前の荷物だ」
何故?と言うように五右ェ門は首を傾げる。
「奴らから買い取った」
こともなげに夕羅は言い放った。その言葉の意味を理解しかねて少年は更に首を傾げたが、結局あきらめたらしく夕羅が差し出す荷物に手を伸ばした。
その動きが、夕羅の手を見て止まる。
正確にはその手に巻かれた白い布に。
だが少年は結局わずかに瞳を逸らせただけで夕羅の手から包みを受け取った。夕羅も何も気付かなかったように、五右ェ門が荷物を手にすると無言で背を向ける。
「…あの」
その背を遠慮がちな声が追いかけた。
振り向いた夕羅を見ようとはせず、五右ェ門は膝に抱え込んだ荷物に視線を落として言葉を継いだ。
「それ…まだ痛い…か…?」
夕羅はちらと自分の手に巻かれた包帯に目をやった。手のひらに深く刻み込まれた刀傷は数日を経た今でも、常人であれば耐えられぬ程の痛みを残す。
「気にするな」
肩の位置まで上げた手を軽く握り、夕羅は短く言葉を吐いた。吐き捨てるように呟かれた言葉だったが唇の端にちらりと笑みが走った。
その言葉に五右ェ門が視線を上げると既に夕羅は背を向けて歩み出していたが、速水はその場にまだ留まり五右ェ門を見ていた。ぶつかった視線ははっとする程の鋭さを持っている。
だがその強烈な視線は一瞬で、五右ェ門が何事かと瞬きをした間に、彼ももう夕羅の後を追って室内へと去っていた。
二人を追って室内へと向けられていた視線を、ようやく庭へと戻した五右ェ門の目に少女の姿が映った。夕羅が来る前に去ったと思っていたたまきは、木の影に半ば消されるようにして佇んでいた。
「あ…」
まだ居たのか、と問う間もなく、影から歩み出たたまきは五右ェ門を見据えると身を翻し無言で走り去った。 その目は先程の速水の視線と同じ印象を与えたが、五右ェ門にはその揺らいだ感情の意味まで読み取ることは出来なかった。 呆然と見送った五右ェ門は困ったように息を吐き、膝の上の自分の荷物を見下ろした。
少女が発した言葉を思い返す。
「…『カコワレモノ』…?」
口の中で呟いて少年は僅かにに首をひねった。少女自身も使い慣れない様子でおぼつかなげに発音したその単語。
だが五右ェ門にとって決してそれは、初めて聞いた言葉ではなかった。
「気に入りませんね」
廊下を出た夕羅の背後で速水が呟いた。
一瞬足を止めた夕羅は速水と並ぶ形になった。そのまま二人で歩を進める。
何も言わない夕羅を見上げ、速水は少々不機嫌な声で言葉を継いだ。
「…人を殺しているのですよ」
「…ふうん」
速水の顔を覗き込み、夕羅はおかしそうに呟いた。速水が嫌そうな表情になる。
「…何ですか」
「いや…」
笑いを押し隠すように包帯に彩られた手を唇に押し当てた。傷付いた手を庇おうともせず常と変わらない振る舞いをする。
「人を殺めたくらいで驚いていたらここでは暮らせぬ」
くすくす笑いながら夕羅は言い、速水から離れて大きく歩を進めた。再び速水が夕羅の背を追うこととなる。 夕羅の背後で、珍しく速水は眉を曇らせたまま呟いた。
「…そういうことでは…」
「そんなことよりも」
肩越しに振り返った夕羅は既に笑みを収めていた。
「なかなか興味深いことになっていたではないか?」
言葉の意味を汲み取って速水も表情を改める。首を傾け記憶を探るような表情になった。
「ああ、あれが例の孫娘ですねぇ」
「うむ」
再度夕羅の唇に浮かんだ笑みはもう温かさを残してはいなかった。再び唇に当てられた指先もその冷たさを隠そうともしない。
口に出した言葉には何の気負いもなかった。ただの確認としての言葉。
「…あの娘、使えるかな」
今後の展開を考えて章編成を変えようかどうしようかとうだうだ迷っているうちにUPしそびれて、気がついたら半年以上経ってました(ギャフン)。
(06.10.27)
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