蜘蛛の巣の迷宮

3.

 夢も見れずに、泥のように深い眠りから浮かび上がる。
 夢にうなされるよりも苦しい眠り。
 深すぎて、地の底の闇に触れたような重苦しい思いを抱えて五右ェ門は目を覚ました。
 独りぼっちで。
 日のあたらない部屋は薄暗く、時間の判断がつかない。
 ずきずきと痛む手首はまだらに腫れ上がっている。辛うじて骨折は免れたようだった。
 その虚ろな瞳は、目を覚ます前からただ一つのものを捉えていた。

 広大な敷地の片隅、母屋と渡り廊下で繋がれた建物があった。
 他とは違う堅牢な作り。住居としての機能性は低いが、物を置くには適している。仕切りのない広い室内はしかし、さまざまな財宝によって自然と区切られていた。
 月虎夕羅はその場所にいた。
 各地から持ち帰った盗品の数々がそこにいったん集められる。
 蔵にしまい込まれるもの、売りに出されるもの、夕羅の私室を飾るもの…。
 そこから各所へと再び運ばれていくのだ。
 中では多くの者が仕分けの為に働いていた。夕羅は特に何をするでもなくその中を歩き回る。
 そしてときおり、足を止めては値踏みするように品物を眺め、短い指示を出した。
「…夕羅様」
 わずかに戸惑った声が夕羅を呼んだ。
 振り向いた視線の先、声を掛けた部下の背後に少年が立っていた。
 どうやってたどり着いたのか、着替えを済ませた五右ェ門がぽつんと佇んでいる。一人で来たらしい。
 新しく腕に巻かれた包帯が袖から覗くのを見ると、誰かに世話は受けたようだ。
「…どうした?」
 夕羅の問いに答えず、五右ェ門は室内を見回す。
 他と違い、この建物は天井が高く簡素でほとんど倉庫に近い。珍しげに天井を見上げ、雑然とした室内に目を向ける。
 子供らしい一面がふと透けて見えた。夕羅はそれを冷ややかな瞳で見つめる。
「珍しいのか?好きに見ても良いぞ」
 そっけない言葉を投げかけ、夕羅は五右ェ門の側を離れた。
 夕羅の言葉に反応したのか、こくんと頷くと五右ェ門は歩き出した。働く者たちの間を邪魔にならないように器用にすり抜け、きょろきょろと覗き込んでいた。
 特にどれに興味を示すというわけでもなく、等しく目を向ける。
 やがて五右ェ門の足が日本刀の並べられた一角に止まった。
 数限りない刀が無造作に置かれている。無銘の物から、誰もが知っている名の物まで。
 その中の一振りを五右ェ門は手に取っていた。

 廊下に佇んでいた夕羅は背後の気配に振り向いた。真剣の切っ先が正確に自分に向けられているのを目にする。
 そして抜き身の剣を構えている五右ェ門の姿を。
 その目に浮かぶ妖しい光を。
 思わず夕羅は声を上げて笑っていた。
 それを抑えるように額に手を当て、それでもまだ抑えきれずにくすくすと笑いを漏らす。
「…そうだ…その目だ…」
 指の間から覗く瞳が、五右ェ門以上に危険な色に閃いた。
「私を殺すか?…面白い、やってみろ」
 手を離したその顔にはもはや笑みもなく、夕羅は五右ェ門に向かって歩を進める。
 その迫力に圧されながらも、五右ェ門は辛うじてその場に踏みとどまっていた。
 切っ先の前に立ち、夕羅は刀身に指を触れる。
「…どうした?」
 その刃を握り、夕羅は刀を押し退けた。五右ェ門に近付く。刀の刃は夕羅の首筋にあった。夕羅が手を離せばそのまま頚動脈を切断するだろう場所に。
 その事実が五右ェ門を凍りつかせる。
 固まったままの五右ェ門の視線を受け、夕羅は笑みを零した。
「私を、殺すのではなかったのか…?」
 低く挑発の言葉を口にする。
 五右ェ門にそれに応じる余裕は既にない。 それを理解した上で夕羅は更に言葉を継ぐ。まったく夕羅らしくない口調だった。
「やってみろよ」
――ッ!?」
 言葉と同時に夕羅の指が、五右ェ門の目の前で剣を握り締めた。
 指の間から血が溢れる。
 赤い筋が細く流れ、鋼色の刀身を染めていった。
「ひぃっ…」
 五右ェ門は咄嗟に刀を引こうとしたが、夕羅の力にびくともしなかった。流れる血を気にする様子もなく、夕羅の指はますます強く刃を押さえ込む。
 赤い糸が夕羅の腕を伝い、刀身を伝い、鍔を伝い…
「あ、あ…あんたは…」
 …鍔から溢れた血は五右ェ門の指に落ちた。五右ェ門は震える唇で訴えた。
「…あんたはむちゃくちゃだ…何もかも…」
 五右ェ門の指から力が抜け、垂れた腕と共にその身体も地面へと崩れた。
 片手でその身体を受け止めた夕羅は、気を失い瞳の閉じられた五右ェ門を見下ろして呟いた。
「…そうでなければ…月虎の党首など勤まらぬ…」
 もう片方の手に握り締めたままの刀に目をやり、さすがに眉を寄せると夕羅は刀を放った。
 刀は音をたてて廊下を転がる。その後を赤い飛沫が彩った。
「夕羅さ…ま!?いかがなさいました」
 顔を出した部下が驚いて声を上げた。
 振り向いた夕羅は、なんでもないと言う様に手を振ろうとしてその手のひらが血に染まっていることに苦笑した。その時初めて、じんじんとした痛みが体内を這い登ってくることにも気づく。
「うっかり刀の扱いを間違えてしまってな」
「…その子供は…?」
「私の血を見て気絶しただけだ。剣士のくせに他愛もない…」
 まだ溢れる血を舌ですくい、夕羅はその味に顔をしかめた。

「…当分刀も馬もお預けだな」





(04.7.21UP/06.03.27改訂)



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