BLUE MOON

7.終焉

 世間の動揺をよそに、五右ヱ門たちはそれぞれに静かな生活を送っていた。ジュリアは書類を依頼主に届け、彼等の苦労に見合うだけの金を受け取った。

 しらゆりの傷がふさがり、五右ヱ門の後頭部の痛みもすでに過去のものとなるほどの時間が流れ、五右ヱ門は久しぶりにジュリアの部屋を訪れた。
 その手には真新しい白木の鞘と柄に包まれた斬鉄剣が握られている。着物は着古されてはいるが、血の染みのないものだった。
 ジュリアの部屋の扉の前に立ち、五右ヱ門はしばらく立ち尽くした。傷だらけの扉のほぼ真ん中に残るまだ新しい、ピンの挿し傷を見つめ、それから決められた数だけその戸を叩いた。
 直ぐにジュリアが顔をのぞかせた。いつもと変わらぬ微笑みを浮かべる。
「仕事の時以来だな、元気だったか?」
 五右ヱ門を招きいれ、椅子を示すと彼は言った。
「ああ、おぬしも元気そうだな」
 そういいながら、五右ヱ門はこの部屋にいるべきもう一人の姿を捜して視線を泳がせた。
「しらゆりは出かけている。仕事だ」
 それに気付いたジュリアが彼の前に同じように腰を下ろして言った。いっそその方が好都合だと思いながら五右ヱ門は尋ねた。
「おぬしの手伝いか」
「いや、あの子自身の仕事だ。何をしているのかは知らない」
 向かい合って座ったまま、二人はしばらく黙り込んだ。
「ここを離れようかと思う」
 やがて五右ヱ門は口を開いた。
「……そうか、」
 特に驚いた風でもなく、しかし、しばらく間を置いてからジュリアは言った。
「そういう時期か」
ふとを視線をさまよわせてジュリアは微かに口の中に含んだような微笑みを浮かべた。
 何かを思い出しているような彼の端正な横顔から、窓の外へと目を移して五右ヱ門も自分の中へと入っていった。
 古ぼけて全体的に白っぽく見える建物が並ぶ景色。
 あまりに長くこの土地に居過ぎたのだろうか。すっかり目に馴染んで、離れるとなると懐かしささえ覚える。
 だからといっていつまでも同じ場所にいても何も代わりはしない。

 どこに行っても同じだと、自分の中から生まれるものから逃れられはしないと気付いた。
 受け入れて生きていかねばならないのだ。
 逃れるためにさまよって来たのなら、また最初からやり直さなければいけないのだろうか。
 前を見ているつもりで後ろを向いていた、この土地からは出て行こうと思った。

「最近、おぬしも忙しいようではないか?」
 視線をジュリアに戻して、五右ヱ門は言った。
 既に五右ェ門に目を向けていたジュリアは、少しはにかんだような表情をした。
「そうでもないよ。まあ、前より仕事を選べるようになったかもしれんな」
 小さなテーブルに頬杖をついて、ジュリアはまっすぐ五右ヱ門を覗き込んだ。
「俺はたぶんずっとここにいるよ。五右ヱ門やしらゆりがいなくなっても」
 そう言ってから彼は口の端を少しゆがめた。
「そういう人間も必要だろう。誰もがいなくなるわけにはいかない」
「新しい人間も入ってくる」
 ぽつりと五右ヱ門は言った。言ってから、まるで自分がいなくなることのいいわけのような気がして顔をしかめた。
 ジュリアは気付かずに、その言葉に反応したように声を立てて笑った。
「確かに」
 その笑い声は、昼下がりの穏やかな会話の続きのように響いた。


 ジュリアの家から出ると日は既に傾きかけていた。
 地面に落ちた影が長く伸びて、人々の郷愁をさそう。白い月が、白っぽい水色の空にそれでもはっきりした輪郭を示して掛かっていた。
 五右ヱ門は空を見上げる。
 当たり前のように手を伸ばす。
 いつものように、その指先は月には届かない。
 何もつかまなかったその手を五右ヱ門は握りしめた。
 まるで何かを掬い取るように。
 もう一度月を仰ぎ見て、五右ヱ門は歩き出した。
 心持ち軽い足取りとなって。
 これからも迷うことがあっても、世界を変えることが出来なくても、自分が変わっていくことに、世界を受け入れることにもう惑うことはないかもしれない。
 もう少し、生きてみてもいいと思った。
 自分が次に向かう先を五右ヱ門はもうわかっていた。
 きっとそこしかないと思っていた。





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